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北硫黄島の戦史
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| 北硫黄島は硫黄島本島の北方約80kmに位置し、標高800mの榊ヶ峰に周囲9kmの太平洋上に浮かぶ 小さな島である。昭和19年7月、島の住民17世帯93名の内地疎開によって無人島となった北硫黄島に 昭和19年7月28日、島の守備と北硫黄島周辺に不時着した戦闘機搭乗員及び遭難船舶乗組員救助の任務を 以て、海軍硫黄島警備隊北硫黄島派遣隊指揮官海軍中尉遠藤喜義以下下士官兵30名が一ヶ月分の食糧と 軽装備で派遣され、その後の戦況変化に従い同年11月8日、海軍中尉近藤昇吉以下下士官兵37名の 増援隊が単装25粍機銃1基の装備で派遣された。 |
| 派遣隊在任中に不時着機搭乗員1名(戦死)及び遭難した陸軍曉部隊輸送船38隻の乗組員約300名を救助し 父島本隊へ送還した。硫黄島周辺の戦局の激化に伴い孤立した北硫黄島は連日米軍の砲爆撃の猛攻を受け 激しい戦闘が続き、派遣隊員1名及び陸軍遭難者7名の尊い命を亡くした。その間に救助した陸軍輸送船 遭難者32名と派遣隊員67名の計99名は、日々緊迫した食料不足、欠乏する弾薬、医療品の中で互いに 士気を鼓舞し島の守備にあたった。昭和20年5月中旬、陸軍遭難者より父島の本隊へ帰隊の許可の懇願があり、 諸般の状況を熟慮検討の結果、最後に残る1隻の伝馬船を修理し決死隊5名で5日間分の水と食料と各自1個の 手榴弾を搭載し、6月19日夕方決死の覚悟で離島した。5日後の朝、父島より決死隊員5名が母島に無事到着 したとの無電連絡があった。8月1日未明、父島海軍第二魚雷艇隊海軍大尉倉崎安雄司令率いる魚雷艇3隻を 以て北硫黄島派遣隊の転進作戦を敢行し24名を救出した。併しこの作戦中遭遇した米軍駆逐艦と交戦し 倉崎司令以下艇員8名の尊い犠牲者を出した。この様にして北硫黄島派遣隊は、陸軍中将栗林忠道小笠原 方面兵団長指揮下のもと昭和19年7月28日より昭和20年8月15日の終戦まで北硫黄島守備の任務を最後まで 全うした海軍硫黄島警備隊唯一の帰還部隊である。終戦後の昭和20年9月5日、父島海軍根拠地隊より再び 北硫黄島派遣隊の撤収が実施され、北硫黄島派遣隊員66名と陸軍遭難者25名の計91名が父島に無事帰還し、 昭和20年12月16日、内地に復員し帰郷したのである。 |